最後の宴会≪十月三十一日≫ ―壱―毛唐の話し声で、目が覚める。 時計を見ると、また止まってしまっているので、今何時なのかまるでわから ない。 時間に縛られているわけでもないが、いざ時計が役立たずになっていると、 少々難儀だ。 こまめにゼンマイを巻いてやれば、快適に動いてくれるしろものなので、簡 単に手放す訳にもいかないのである。 今日は、十月最後の日。 日曜日と言う事で、食堂は休みだ。 外に出て、ミルクとビスケットを手に入れ、昼食としながら、二時間ほど手 紙を書くのに費やした。 これからの旅のスケジュールを知らす意味の手紙で、七、八人に出すとなる と、結構時間も費用もかかってしまうものだと痛感する。 ただ、俺は今ここにいるぞ!って、知っておいて欲しいというのもあるのか も知れないな。 午後も一歩も外に出ず、北杜夫の「楡家の人々」の本を読み漁る。 日本語に飢えているのかも知れない。 日本大使館の貸し出しカードが付いている所を見ると、大方誰かが借りたま ま、何人かの旅人を経て、ここにあるのだろう。 それが、どういう経路を辿って、わが手にあるのか、この本だけが知ってい る。 日が暮れるのも、雨が降り出したのも、また時計が止まってしまったのも忘 れてしまうほど、夢中になって本の中に入ってしまっていたようだ。 本を読み終えて初めて、今日はビスケットを買いに外へ出たくらいで、ほと んど外出していない事に気づいて、雨の中ではあるが、散歩がてらに日曜日 でも開いているタベルナを探すために、外出する事に決めた。 * ISHとジョセフ・ハウスのちょうど中ほどあたりに、手ごろなタベルナを見つ けて中に入る。 見ると、おじさんが一人で店番をしている。 俺「食事・・・出来るの?」 おじさん「ノー!ここは、午後9時から12時までで、今準備中 だから後で来い!」 せっかく来たのにということと、何だ日曜日でもやっているところがあるん だと言う、両方の事を思いながら、坂を下りシンタグマ近くのサンドイッチ 屋に入り、サンドイッチをほうばりながらISHに戻った。 戻る頃になると、ほとんど雨は気にならないほどで、暗くなると木の葉など が多数落ちているのを見ると、かなり雨交じりの強風が吹いていた事に気が 付いた。 * 部屋に戻って、ベッドにあがると、テッシンからの置手紙が目に入った。 テッシン”ジョセフ・ハウスで宴会あり、急いで来てください。” 暗闇の中また歩き出す。 急いで行くが、間に合わず、宴会が終わってしまっていた。 二人の見知らぬ日本人も加わって、和智さん一家も勢ぞろいしていた。 玲子ちゃん「あら・・・・遅いから、終わっちゃったわ よ!」 ワインで酔った玲子ちゃんの声がした。 それでも、丼一杯のぐらいのご飯は残っていて、それに梅茶漬けを振りかけ て、やっとまともな夕食にありつける事が出来た。 皆、食後のワインがかなり入っていて、玲子ちゃんなどは、「美味い!美味 い!」と言って、いくらでも口に運ぶものだから、口数も多く人に絡んで は、「良いではないか!」などとのたまう始末。 和智「女の酔っ払いは、みっともないぞ!」 そういう声にまた絡んでくるのには、閉口したものだ。 ”17”と書かれたワインが、数本カラになっている。 ”17”とは、ぺチーナと言うギリシャの大衆ワインで、ちょっぴり酸っぱ い味がして、それ程美味いと言う飲み物ではないが、アルコール度はかなり のもらしい。 この8号室も、以前ほど活気もなく、相部屋なので、毛唐が一人いると言うこ ともあって、そんなに遅くまではしゃいでいられないとかで、早めにお開き する事となった。 和智さん「明日は、最後の夜なので、もう一度宴会を開 く事にしようじゃないか!」 そう提案すると、皆もろ手を挙げて奇声を発する始末。 和智さん一家が部屋を出て行った後、それを追いかけるようにジョセフを出 た。 初顔の一人が、酔っ払い女をからかっている中年男が気になり、なんとも後 味の悪い宴会になってしまったようだ。 雨の止んだ夜道を”23歳の別れ”を口ずさみながら歩く。 部屋に戻ると、切れていた電球の玉が取り替えられている最中で、ガウン姿 の女主人が言った。 女主人「どこへ行ってたの?」 優しい目で問いかけられるので、嫌な事も一度に吹っ飛び、今日一日がすば らしい一日に変わっていくのがわかって、自然と笑みがこぼれる。 |